「君の日常使用している文字は、師匠の文字に似せているのですか?」。二十年程前、社中展に来られたある評論家からのいきなりの問いかけでした。戸惑いの中、「私には到底真似出来ません」と苦しい返事をしました。「では、君は作品を書けませんね。書作は大変でしょう」と言われた時の衝撃、今でも鮮明に覚えています。未熟な私に「喝」をくださり、真一文字の口元で頷くしかありませんでした。
私が書の道に入ったのは二十歳。成人でしたが書に関しては無垢、ほとんど「空」に近いものでした。習い進むにつれ、流麗な明・清の書に魅了され、その書を華麗に展開させた木村知石先生、後に、力強さを加えての劉蒼居先生に憧れ、師事を仰ぎました。
思うに、師と仰ぎ、その流儀流派の文字を極めるには、書きに書き邁進する。やはりそういった一途な時期が必要です。己の培ってきた文字は「空」にしなくてはなりません。何年掛かるかは人それぞれですし、生き様や環境などが少なからず関わってくるものです。劉先生には、他に目を移すことなく一途に書に挑む私に、自己を活かす心構え等へも学びの的を向け、日々厳しく指導して頂いていました。
そんな折の、あの評論家の言葉だったのです。四十歳の私に、新たに奮い立つ思いで進むきっかけとなった一度目の転機でした。
その後、順風から師の元を去ることになった私に、幸運に恵まれた二度目の転機が訪れました。金子卓義先生との出会いでした。金子先生の卓越した書に加え、その優れた指導力に直接触れることができ、知命の私にどう生きるかを知らしめる指針を教示してくださいました。
就中、「墨色は腕で出す」と言われた劉先生の言葉が書技向上の支えとなり、また「君に任せたよ」の金子先生の包容力ある言葉に、大きな励ましと信頼を頂きました。お二人の言葉は、還暦という人生の最大の転機を迎え、新たな決意で「書の道」を追求しようとする私の背を押す応援歌のように、今も尚、天井から聞こえてきます。
※以下、左図=実際の掲載記事、右図=掲載作品(2段目左端が座本 大汪の作品です)。
